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1950年の近鉄 |
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チームMVP「森下重好」
近鉄パールスは、2リーグ時代開始と共に、プロ野球界参入。「パシフィックリーグ・太平洋野球連盟」に加入する。元法大監督の藤田省三が監督になり、選手にも法大・六大学出身者を集めた。ただ、選手層がまだ薄く、首位と37.5ゲーム差の最下位だった。
チーム順位
7位(最下位)44勝72敗4引分
主なタイトル
なし
話題
3月11日 パリーグ開幕 毎日に2-6で敗れる
3月12日 初勝利 南海戦 沢藤が完投
9月 大阪日生球場開場
10月13日 森下重好、5試合連続本塁打
プロ野球
「水爆打線」の松竹がセリーグ優勝
巨人・藤本が史上初の完全試合
パリーグは毎日が独走
日本シリーズ 毎日4-2松竹
メモ
賞金5万円で愛称を募集。「パールス」に。
記録(パリーグ1位)
先発 黒尾 19試合
犠打 黒尾 20
死球 沢藤 9
ボーク 沢藤 2
チーム打率1位 森下 ・291(パ12位)
チーム防御率1位 黒尾 ・3.34(パ8位)
ウィキペディア引用
1950年、開幕直前に藤田省三が高熱でダウン、藤田は球場には来たが加藤春雄が実質指揮を取る中で3月12日、藤井寺球場での対毎日オリオンズ戦が球団としての初めての公式戦となるが、初回四番森下重好のタイムリーで先制するものの、失策で自滅し2対6で敗戦。翌13日の対南海ホークス戦で沢藤光郎が粘投し、4対3でチーム初勝利を収める。チームは連敗、連勝、連敗を続け、この年は森下が30本塁打、沢藤が18勝を挙げる活躍を見せるが、最終的には首位の毎日から37.5ゲーム離された最下位に終わる。投打共に駒不足を露呈した[。球団本社からの強化費用が予想以上に出ず、新人2選手が加入しただけで終わる(その2選手も翌年には退団)。
在籍選手 背番号 |
1 |
2 宍戸 |
3 坂本 |
4 |
5 加藤 |
6 島方 |
7 永田 |
8 芳村 |
9 山本 |
10 高塚 |
11 宝川 |
12 宝山 |
13 |
14 服部 |
15 五井 |
16 田中 |
17 沢藤 |
18 黒尾 |
19 関根 |
20 香川 |
21 石田 |
22 森下 |
23 伊藤 |
24 |
25 山下 |
26 田川 |
27 加藤 |
28 青池 |
29 苅田 |
30 藤田 |
投手個人成績
香川秀光 | 6試合 | 0勝2敗S | 防御率3.86 |
黒尾重明 | 41試合 | 12勝21敗S | 防御率3.34 |
五井孝蔵 | 37試合 | 8勝15敗S | 防御率3.86 |
沢藤光郎 | 50試合 | 18勝19敗S | 防御率3.70 |
関根潤三 | 26試合 | 4勝12敗S | 防御率5.47 |
武智文雄 | 16試合 | 2勝3敗S | 防御率3.16 |
服部力 | 4試合 | 0勝0敗S | 防御率4.50 |
・・・詳細 | | |
打者個人成績
青池良正 | 25試合 | 13安打0本6点 | 打率0.313 |
伊藤利夫 | 72試合 | 51安打1本19点 | 打率0.351 |
加藤春雄 | 95試合 | 88安打8本42点 | 打率0.392 |
加藤政一 | 105試合 | 91安打11本52点 | 打率0.374 |
坂本茂 | 20試合 | 7安打1本5点 | 打率0.455 |
宍戸善次郎 | 58試合 | 38安打1本14点 | 打率0.295 |
島方金則 | 73試合 | 41安打3本18点 | 打率0.302 |
関根潤三 | 63試合 | 32安打4本21点 | 打率0.357 |
宝山省二 | 113試合 | 93安打2本33点 | 打率0.310 |
田川豊 | 107試合 | 115安打6本29点 | 打率0.410 |
永田隆次 | 34試合 | 18安打1本14点 | 打率0.356 |
森下重好 | 118試合 | 134安打30本93点 | 打率0.560 |
山下譲 | 57試合 | 28安打1本7点 | 打率0.328 |
山本静雄 | 104試合 | 86安打4本27点 | 打率0.302 |
芳村嵓夫 | 77試合 | 37安打4本14点 | 打率0.273 |
・・・詳細 | | |