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1950 |
【最下位】 チームMVP「森下重好」
近鉄パールスは、2リーグ時代開始と共に、プロ野球界参入。「パシフィックリーグ・太平洋野球連盟」に加入する。元法大監督の藤田省三が監督になり、選手にも法大・六大学出身者を集めた。 ☆チーム順位 7位 最下位 ☆主なタイトル なし ☆近鉄の話題3月11日 パリーグ開幕 毎日に2−6で敗れる ☆プロ野球 「水爆打線」の松竹がセリーグ優勝 ☆メモ 賞金5万円で愛称を募集。「パールス」に。 ☆記録(パリーグ1位) 先発 黒尾 19試合 チーム打率1位 森下 ・291(パ12位)
☆ウィキペディア引用
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在籍選手 背番号 | ||||
1 | 2 宍戸 | 3 坂本 | 4 | 5 加藤 |
6 島方 | 7 永田 | 8 芳村 | 9 山本 | 10 高塚 |
11 宝川 | 12 宝山 | 13 | 14 服部 | 15 五井 |
16 田中 | 17 沢藤 | 18 黒尾 | 19 関根 | 20 香川 |
21 石田 | 22 森下 | 23 伊藤 | 24 | 25 山下 |
26 田川 | 27 加藤 | 28 青池 | 29 苅田 | 30 藤田 |
近鉄年鑑
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