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1959年の近鉄

近鉄バファローズ
チームMVP「関根」

2年連続の最下位。千葉監督も途中休養。なにもなし。
チーム順位

最下位 39勝91敗3引分
主なタイトル

なし
オールスター出場選手 

関根 小玉
メモ

2軍首位打者 木村
チーム打率1位 小玉 ・293(パ8位)
チーム防御率1位 ミケンズ ・2.41(パ7位)
話題

1月9日 愛称を「バファロー」にする
6月20日 千葉監督、一時休養
プロ野球

セリーグは巨人が独走V5
パリーグは南海が優勝
5月1日 初の野球殿堂入り表彰
6月25日 天覧試合 巨人対阪神
7月19日 ニ出川審判「オレがルールブックだ」
南海・杉浦が38勝4敗
日本シリーズ 南海4-0巨人 杉浦4連投
記録(パリーグ1位)

三塁打 関根 9
リリーフ 蔦 9
被犠飛 蔦 8
失点 大津 106
暴投 江崎 6
失策 矢ノ浦 35
ウィキペディア引用

チーム創設からチーム成績が低迷を続けていた近鉄は、前年まで巨人の2軍監督を務めていた千葉茂を監督に迎え入れて、チーム改革を図った。さらに、弱小球団のイメージがついた「近鉄パールス」という球団名についても変更することになり、チーム名を公募した。公募の結果、千葉監督の現役時代の愛称「猛牛」を英語にした「バファロー」が最多となり、この年から球団名を「近鉄バファロー」に改称した。千葉新監督は巨人からコーチの平井三郎や内藤博文などの選手を多数入団させたが、鈴木武など生え抜き選手との軋轢を生じる結果となり、チームは4月から低迷。5月上旬に最下位に転落すると6月20日には千葉監督が病気のため休養、この年投手コーチに就任したばかりの林義一が指揮を執ったが、7月には2度の9連敗を喫するなど2勝19敗と大きく負け越し、林監督代行でも最下位から抜け出すことはできなかった。


在籍選手 背番号
1 加藤 2 小玉 3 伊香 4  5 林
6 原 7 鈴木 8 渡辺 9 佃 10 加藤
11 平井 12 近藤 13 後藤 14 木塚 15 大津
16 武智 17 伊藤 18 山下 19 関根 20 大崎
21 内藤 22 黒田 23 ミケンズ 24 ボトラ 25 島田
26 戸口 27 斎田 28 大石 29 関森  30  
31 千葉 32 河野 33 五島 34 岸 35 長田
36 蔦 37 福原 38 青木 39 長倉 40 川上 
41 木村 42 辻村 43 見本  44 吹田 45 久保
46 瓦谷 47 村田 48 江渡 49 井上 50 沢藤
51 東本 52 佐々木 53 宮谷  54 笹貫  55 
56  57  58  59  60 山本


投手個人成績

伊藤四郎12試合0勝2敗S防御率5.45
大崎三男26試合2勝8敗S防御率3.49
大津守45試合11勝20敗S防御率3.17
長田裕之28試合3勝6敗S防御率3.45
黒田勉31試合0勝5敗S防御率5.38
後藤修25試合3勝2敗S防御率3.95
近藤三明3試合0勝0敗S防御率7.71
吹田俊明12試合0勝2敗S防御率4.85
武智文雄23試合2勝11敗S防御率3.77
蔦行雄50試合5勝17敗S防御率3.67
福原勝16試合0勝2敗S防御率5.91
ミケンズ38試合11勝13敗S防御率2.41
山下登20試合2勝3敗S防御率5.27
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打者個人成績

伊香輝男94試合57安打1本17点打率0.288
大石雅昭47試合14安打0本2点打率0.243
加藤晃郎38試合7安打0本0点打率0.127
加藤昌利91試合60安打3本16点打率0.305
川上義信22試合6安打0本3点打率0.231
瓦谷嘉宏16試合0安打0本0点打率0
岸輝男1試合0安打0本0点打率0
木塚忠助13試合5安打0本1点打率0.286
木村勝男9試合1安打0本0点打率0.125
河野安男37試合9安打1本5点打率0.302
小玉明利131試合141安打12本47点打率0.423
五島道信30試合7安打0本1点打率0.175
斎田忠利81試合56安打4本21点打率0.364
島田光二83試合36安打0本7点打率0.232
鈴木武121試合91安打0本23点打率0.279
関根潤三116試合120安打5本38点打率0.413
関森正治107試合68安打8本33点打率0.314
佃明忠45試合16安打0本4点打率0.278
戸口天従71試合27安打0本7点打率0.322
内藤博文67試合62安打4本15点打率0.327
原勝彦9試合1安打0本0点打率0.167
東本之雄58試合20安打0本1点打率0.227
ボトラ103試合81安打8本45点打率0.347
村田康一26試合13安打0本7点打率0.197
渡辺博之98試合53安打2本30点打率0.27
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